高野山真言宗
昭和26年春建立落慶 当山21世 密人和尚代 本来ならもっと早期に建立予定であったが、先の大戦により工期が延びた。戦時中、材木等の材料はすべて揃っていたが、戦火が及ぶと危険なため時の総代が寺族に売却するよう勧めたが、寺族「もし戦火がここまで来ても私はこの材木と一緒に焼かれてもいい」とそれを断固拒否。おかげで戦後すぐの建立が叶った。
平成24年11月 多聞寺の篤信遍路団体「播州眞心会」が結衆95周年を記念して寄進建立される。題字は弘法大師御作「聾瞽指帰」よりご拝借仕りました。
山門をくぐるとすぐ左に地下へ続く階段がある。奥へ進む不動護摩堂がある。 毎月28日「祈祷護摩供」を行っております。 昭和59年、「弘法大師御入定1150年」を記念し境内を拡張。それに伴い地下堂を整備しました。 当山22世 佳士和尚代
昭和3年建立落慶。 当山19世 憲信和尚代 本尊薬師瑠璃光如来(秘仏) 彫刻師 川原啓秀による彫刻や、当時の宮大工による放射状に広がる扇垂木など、本堂全体がまさに芸術作品である。
ご本尊の薬師瑠璃光如来は昔より眼病にご利益がある仏さまと崇められております。 60年来遍路をしている先達さんのお話。 その昔、同行のお遍路さん(初めて巡拝されたされた方)が多聞寺での参拝を終え、客殿にて昼食を摂った。その人は長年目のできものに悩んでいたが、昼食を終え、多聞寺を出発するころにはその病気がすっかり癒えていたそう・・・ 毎月8日に本尊講を行っております。
「阿字の子が 阿字の古里 立ち出でて また立ち帰る 阿字の古里」 弘法大師第3番の御詠歌です。 お大師様のお弟子さんであり甥でもあった「智泉大徳」さまが若くしてお亡くなりになられました。お大師様はたいそう嘆き悲しみましたが、49日の法要の際、お大師さまの目の前に仏さまとなった智泉さまが現れました。その際にお詠みになられた歌であります。 「阿字」とは大日如来=仏を言います。 「我々は仏の世界よりこの人間界に生まれ、そしていろんな経験、修行を終えて、そして仏の世界に帰っていく」という意味です。そのお歌から「あじのふるさと」と命名いたしました。
正面の梵字は「ア」と読みます。この一字をもって「大日如来」であります。 中は納骨堂となっており、七回忌まで安置ののち、地中に埋葬します。 毎年春秋彼岸、お盆と法要を行います。 近年墓離れや後継者の問題など、様々なお悩みを持った方が居られます。そう言った方はどうぞ住職にご相談くださいませ。
客殿の中央に「大師堂」があります。真言宗の宗祖であります「弘法大師空海上人さま」をお祀りしております。
播州加西羅漢寺にある「羅漢群像」を模して羅漢彫刻家 村田和義師によって制作されました。本家羅漢寺には500体の像があり、「死んだ身内に会いたけりゃ羅漢寺に行け!」と言うほど様々な表情を持たれております。多聞寺には大きな羅漢が16体鎮座しております。どうぞご自身やご家族のお顔に似た羅漢さんを探していただき、触ったり抱きしめてあげてください。